平成13年1月20日(土) 産経新聞(夕刊 )

東西の”長所”生かして

 最近は都内でもしばしば関西から落語家たちが上京`上方落語の会が開かれるようになり、東京
の上方演芸ファンの定着を印象ずけているが、大阪生まれの大阪育ちながら東京で立川流の家元、立川談志に入門、上方落語の修行を続けている異色の落語家が立川文都。「東西のいいところをとりいれた、自分にしかできない落語をやりたい」と奮闘中だ。(栫井千春)

 十一日、東京の日暮里・サニーホールで開かれた日暮里特選落語会。この日、文都が高座にかけたのは「近日息子」。間がぬけているくせに気を利かせようとして、事態をとんでもない方向に発展させると、そのおかげで急に死んでしまっつたことにされてしまう親父とのやりとりが笑わせる噺だが、文都は、弔いが始まると勘違いした長屋の住民たちを デフォルメ。トンコロをイチコロと言い間違えた男につっこむ男とのやり取りを一人漫才風に大きな声で「知らんふりすんのやっつたらなんほでもおまねんで」と繰り返し、たたみかけるように笑いを起こす。

 この落語会は、同じぐらいのキャリアをもつ落語家たち六人が二つ目時代から続けている息の長い会で、文都以外は全員が東京落語。その中で、さらりとした”引く”語り口の他の演者と好対照の ”押す”語り口で際だつ存在感が、東京の演芸界での文都のポジションを象徴しているようだった。

 文都が落語と出会ったのは小学生のころ。偶然ラジカセで録音した小文枝(現・文枝)の「饅頭こわい」や仁鶴の「初天神」を聴き、繰り返して聴くうちに覚えて、友達に聴かせるほどに。師匠・談志を知ったのは高校時代に読んだ談志の著書「現代落語論」。「芸の道に引っぱり込んだ、悪魔の書です」と笑うが、この中の「このままでは落語は伝統芸能になってしまう」というくだりに心を動かされ、しばしば独演会へ。やがて顔を覚えられるようになり、大学卒業後、入門を許された。
       
 原則として「定席とよばれる寄席に出演する機会のない立川流には、より厳しい”自己責任”が求められる。その違いを文都は「デパートとコンビニの違い」という。”デパート(寄席)”に”売り場を出し(出演し)”ていれば、よその売り場に買い物に来た人も手にとっつて見てくれる。しかし、コンビニは、それぞれが品揃え(演目)を工夫、お客が店に入ってもらうとこらから始めなければならない。生き残るためには”戦略”が必要。まだまだ関西弁への拒否感が残る東京で上方落語を演じるのは、逆境を逆手にとった、したたかな戦略かもしれない。

 毎日開いている自分の独演会「月刊文都」では、毎回三席のネタを高座にかけている。会が近ずくと「三つのネタが頭の中で渦を巻きます。自分の限界への挑戦です」(文都)という厳しい会をこなすなか、カットすべきところは大胆に切り捨てる東京落語の構成力と、笑いを大切にする─ 噺のなかに笑いをどん欲に取り込む上方落語と、それぞれの長所を生かして自分のスタイルを懸命に作り出そうとしている。

 「落語は東京、大阪など都市の芸だったと思います。でもこれからは、それにとらわれずに全国へ広げていきたい」。文都は兄弟子の立川談幸、上方の桂春雨ら仲間たちと落語の「年間百カ所計画」を進めている。落語会を開くだけでなく、地域の人たちと協力しながら老人施設で落語を聴かせるなど、地域に溶け込んだ活動を全国百カ所で開いていくことが目標だ。       
 「人が集まる、人を寄せるのが寄席。高座から精いっぱい”気を送ります」

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